伝統織物でつくるネクタイブランドTUNDRAとして、スコットランドに伝わるタータンチェックを求めて現地に行ってきました。そもそもなぜタータンチェックに目をつけたのか。他の織物にはない特異なデザイン「登録制」システムと、ただのチェック柄に収まらない魅力的な歴史をもつ「タータン」を紹介したいと思います。ちなみに日本では「タータンチェック」という柄の名前で知られていますが、正確には「タータン」のみで「チェック」はつけません。
タータンは登録制
「スコットランド・タータン登記所(The Scotitsh Register of Tartans)」というタータンを登録する機関があり、世界中すべてのデザインがここで管理されています。(それぞれのタータンには名前が付けられています)元々は民間の2つの団体が管理していましたが、2008年から政府によって統合されました。当時のハイランド協会によって1815年頃にタータン柄の管理が始まったと言われており、現在では数千種類ものタータンが登録されています。
www.tartanregister.gov.uk
世界中だれでも、70ポンド支払えば新しいタータンを登録することができますが、登記所の審査を通る必要があります。当然ながら既に登録されているものとは違う独自性のあるデザインでなくてはならず、具体的には以下のような点に注意が必要です。
・タータンを構成するブロックの色、サイズ、配列に独自性がある
・既にあるタータンをベースにデザインしてもいいが、明確な違いを生み出す必要がある
・タータンの名前も含め、登録者と関連のあるタータンである必要がある
この他にも、なぜこのタータンをデザインしたのか、なぜこの色を選んだのか、このタータンは何に使う予定なのかなどを申請時に記載します。もっと詳しく知りたい方は、こちら。ちなみにタータンの定義は「ウールの糸を綾織にした織物」です。デザインの構造は、チェック柄の繰り返しなので、この柄の1セットを申請することになります。ここで申請して認められたデザインだけが、正式なタータンということになるので、世の中にあるほとんどの「タータンチェック」は、実はただのチェック柄ということですね。
それにしても、このように国にデザインが管理され、現在も新しく登録できて名前まで付けられるって、他の伝統織物にはないユニークなシステムです。
タータンの種類
タータンにはデザイン毎に名前があるだけでなく、9つのカテゴリーに分かれています。これは、タータンのデザインにはそれぞれ意味があり、どのような用途でつくられたのかを表しています。(※以下のタータンの写真はすべてwww.tartanregister.gov.ukより転載)
・Clan / Family(クラン / ファミリー)
スコットランドの由緒ある氏族(クラン)・家族が着用していたタータン。
・Name(ネーム)
ある個人や家族のためにつくられたタータン。
・District(ディストリクト)
街、州、国など特定の地域のためにつくられたタータン。「タータンを見ればどの地域の人かわかる」と書かれた古い文献もあり、すべてのタータンの中で最も古いのがディストリクト・タータンと言われている。
・Corporate(コーポレイト)
会社や組織のためにつくられたタータン。
・Military(ミリタリー)
軍隊用につくられたタータン。スコットランドでは18世紀ごろから各隊それぞれ同じ種類のタータンを身につけるよう指示されていたといわれている。
・Royal(ロイヤル)
イギリス王家のためにつくられたタータン。
・Fashion(ファッション)
ファッション・ビジネスのためにつくられたタータン。ヴィヴィアン・ウエストウッドやバーバリーなどが有名。
・Other
上記に分類できないタータン。
タータンの歴史
スコットランドに限らず、世界中に古くからチェック柄の織物(タータンと呼ばれていないとはいえ)は発見されているので、スコットランドが発祥の地だとはいえません。ではなぜ、タータンがスコットランド及びイギリスを代表する伝統織物になっていったのでしょうか。
戦争を繰り返していたスコットランドとイングランドが、「グレート・ブリテン連合王国」として1つの国になったのが1707年。この連合に不満を持っていたのが、スコットランド北部ハイランド地方に住むハイランド人と呼ばれる人々でした。そしてこのハイランド人こそが、タータン生地のプラッドを伝統衣装として身にまとっていたのです。
www.reconstructinghistory.com
イングランドに対して反乱を起こす度、スコットランドへの愛国心の証としてタータンを着用していた彼らは厳しく罰せられました。多くのハイランド人は殺され、家を焼かれ、家畜を奪われ、実に1,000人以上もの人が海外に奴隷として送られたのです。そしてなんと、1746年に、タータン、バグパイプ、ゲール語などハイランド文化を禁止する法律ができてしまったのです。1782年にこの禁止法が廃止されるまでの36年の間、軍用タータンだけは製造を許されていたため、なんとか根絶されることはありませんでしたが、多くのタータンのデザイン、技術が失われてしまいました。
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1822年、タータンが脚光を浴びる転機が訪れます。世界的に有名なスコットランド人作家ウォルター・スコットらの計らいで、ジョージ四世がエディンバラを訪問することになりました。実に172年ぶりとなる王の訪問となる一大イベントに、スコットらはタータンを意図的に使った式典を計画したのです。出席者にはタータンの着用が義務付けられ、ジョージ四世がタータンをまとうという情報が流れると、みなが競ってタータンを買い求め、タータン・ブームが沸き起こりました。実際に赤いタータンのキルト姿でホリールード宮殿に現れたジョージ四世、そして色鮮やかなタータンが一堂に会したその壮観は、表面的なものとはいえ国民としての一体感をもたらしたのです。
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その後、イギリスが植民地を世界中に拡大していたことも手伝って、タータンは世界中に広まりました。タータンのキルトはスコットランドだけでなく、英国王室の方々の正装として現在でも度々目にすることができます。
参考HP:www.tartanregister.gov.uk / 参考文献:「タータン・チェックの歴史」奥田実紀著
まとめ
長く続く伝統織物には必ずストーリーがありますが、この「タータン」ほど歴史に翻弄された伝統織物はないのかもしれません。一時は法律で禁止までされたにもかかわらず、いまでは世界で最も知られている伝統織物のひとつです。当時のデザインは記録として残り、そして新しいデザインもつくり続けられています。
さて、そんなタータンを昔ながらの製法でつくり続けるミル(工場)を訪ねてスコットランドに行ってきましたので、次回から数回に分けて書いていこうと思います。
ネクタイ専門店TUNDRA(ツンドラ)が投稿いたしました。